胡同(フートン)のひまわり
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1967年。北京に住むチャンー家に、ひとり息子が生まれた。胡同の自宅の中庭で育っていたヒマワリにちなんで向陽(シャンヤン)という名前になった。1976年、9才。父親のガンニャンが強制労働を終え、6年ぶりに家に戻ってきた。父親は遊んでばかりの彼を厳しく叱りつけ、絵の勉強をさせる。父親も絵描きだったが、強制労働で手をつぶされ、今では手の震えが止まらず、絵筆を握ることができない。そして、息子にその夢を託したのだ。ラジオでは毛沢東死亡のニュースが報道され、”四人組”も逮捕される。自由化のニュースが報道され、シャンヤンは紅小兵に入隊する。1987年。19歳となったシャンヤン。父親に反抗を試みながらも、今では絵の才能を伸ばしつつあった。彼が熱心にスケッチしていたのは、赤い帽子をかぶってスケートをする美しい女性ユー・ホン。ユー・ホンも好意を抱き、やがて、二人は結ばれる。絵の才能を伸ばすために、抑圧的な態度を取り続ける父。もう我慢ができなくなり、ラウ・リウの息子とユー・ホンと一緒に広州に行くことを企てたが、家を出ることを許されなかった。1999年。大人になったシャンヤン。北京の町は急速な勢いで近代化が進み、最後まで残っていた胡同や四合院の取り壊しが急速に進んでいく。32才になったシャンヤンは、ハン・ジンと結婚。やがてシャンヤンの展覧会が開かれる。